コラム

JGC委員が持ち回りでオリジナル書き下ろしコラムを連載中!!


■2015/8/31
「ゴルフの起源」 蟹瀬誠一副議長
■2015/8/5
「白杭のある国」 著 諸星裕副議長
■2015/7/25
「アーサー・ヘスケス・グルーム」 著 蟹瀬誠一副議長
■2015/7/1
「“帝王”ジャック・ニクラウス」 著 蟹瀬誠一副議長

 


ゴルフの起源

我らが愛するゴルフ発祥の地といえばスコットランドだと思っていた。ゴルフに関する最古の記録が1457年にスコットランド国王ジェームズ2世が発令した「ゴルフ禁止令」だからだ。男たちがあまりにゴルフに夢中になって、戦争に備えたアーチェリーの練習を疎かにしたのが理由だったらしい。
この頃からすでにゴルフは人心を惑わす熱病だったのだ。禁止令は1502年に解かれた。それ以来、この深遠なる球技はシェークスピアからヘミングウェイ、アガサ・クリスティにいたるまでを虜にしてきた。

ところがゴルフ発祥の地はスコットランドではなくフランスだという新説が飛び出した。聞き捨てならない。 ゴルフ界に激震を走らせたのは、『Golf Through the Ages』(Michael Flannery, Richard Leech著)。著者はこれまで日の目を見なかった古文書の中に、フランス貴族たちが1450年にすでにゴルフを楽しんでいる図版を発見したのだという。これが事実ならこれまで最古とされる「ゴルフ禁止令」の7年も前のことになる。
図画には、クラブを持った4人の男たちがグリーン上でボールを杭に当て、ホールに打ち込んでいる姿があるのだそうだ。人数やプレーがいかにもゴルフっぽい。
一方、スコットランドでこれまでに発見された最古のゴルフ図画は1740年物。旗色が悪い。そういえばキャディの語源は16世紀にスコットランドのメアリ女王がフランスからクラブを運ばせるために連れ帰った士官候補生(カデ)である。さらにスコットランドで当時行われていたのは死者やけが人が出たほど乱暴な球技で、ホッケーの原型だとされたから、誇り高きスコットランド人が黙っているわけがない。

新聞もテレビのコメンテーターも一斉にこの新説を非難した。スコットランド人にとってゴルフは単なるスポーツではない。歴史に根ざした文化・伝統・誇りなのだ。それに毎年、世界のゴルフ愛好家たちがセント・アンドリュースなどゴルフ"聖地“に巡礼し多額のお金を落としていくのだから経済的ダメージもある。ギロチンやチーズの元祖はフランスに譲ってもゴルフだけは譲れない。

もっともゴルフの原型は古代ローマの「バガニカ」だという説もある。なんでも子供たちが木の根を丸く削って打ち転がしている姿に魅了されたローマ兵が考え出した目標地点まで最小打数を争う競技だそうだ。

極めつけは中国。西暦943年に刊行された南唐の史書の中にゴルフが登場しているというから驚きである。王がクラブを2本持って何番で打とうかと悩む姿。足元には小さなボールがあるではないか。

それでも、「羊飼いが杖で足元の小石を野うさぎの巣穴に打ったのが始まり」というスコットランド・ゴルフ伝説に私はいちばんロマンを感じる。
ハイランドで年輪を重ねたシングルモルトのスコッチを飲みながら朝もやのフェアウェに思いを馳せ、彼方に白球を打ち込む楽しみには、いかなる美女もかなわない。


蟹瀬誠一
ジャーナリスト・キャスター・明治大学国際日本学部教授

白杭のある国

ゴルファーの大敵である白杭(OBの杭)は、とても嫌なものです。でも、皆さんは海外からのゴルフ中継をご覧になっていて、日本のゴルフ場に比べほとんどOBがないことに気が付かれているでしょうか。実はOBというのはゴルフ場の外という意味で、白杭は基本的にはゴルフ場の外周にしかないのが普通なのです。
僕は約25年間の北米生活で多分200くらいのゴルフ場でプレイをしましたし、その後日本ゴルフツアー機構の国際関係担当副会長として14年間、毎年のようにマスターズや全英オープンを含む海外のトーナメントに出かけましたが、ゴルフ場の中に白杭は殆どといってよいほど見たことがありません。 規則ではゴルフコース内でもOBを作ってもよいことにはなっているのですが、海外ではまずほとんど作りません。

1979年の全英オープンでバレステロス選手が16番左の駐車場から打ってバーディーを取り優勝したことを覚えていらっしゃる方も多いと思います。外周以外のOBは設けないというのが、ゴルフ場の格というものなのです。ではなぜ日本のゴルフ場にはこんなにOBがあるのでしょうか。僕は二つの理由があると思います。第1番目はバブル期に多くのプレイヤー(客)を処理しなくてはならず、プレイの進行を早めるためのものです。とは言え、OBは規則によると1打プラス距離のペナルティーですから、打った場所に限りなく近いところからもう一度打たなくてはなりません。右ドッグレッグの右側が谷でOBになっていたりすると、そこに打ちこんだら勿論もう一度打ちなおさなくてはなりません。何回打っても右に行ってしまう時でもフェアウエイに打てるまで、打ち続けなくてはならないのです。
でも、我が国には世界に類を見ない特殊なルールがあるのです。前進4打というもので、OBに打ちこんだら決められた前方の地点から4打目で打ってよいというローカル・ルールを設けてあるのです。これはゴルフ規則を読んでもどこにも出ていません。

では海外ではどうしているかというと、そのような場所には黄杭か赤杭が立っています。つまりウォーター・ハザード(WH)として処理します。特に水がある必要はありません。黄杭(ウォーター・ハザード)や赤杭(ラテラル・ウォーター・ハザード)なら、入ったと思われるところ付近から(黄色と赤では処理の仕方が違いますが)1打のペナルティーで打つことが出来るので、その方が進行上はずっと早いのです。ここで第2の理由が登場です。日本人はボールが入ったところが特定できることを重要視するようです。
でもそれは自然の地形の中で造られたゴルフ場では、必ずしも侵入地点を目視する事は可能ではありません。そこで、曖昧なことは避けるという意味もあり、そのような場所をOBにしてしまいます。
でも、ちょっと待ってください。忘れて頂いては困ることが一つあります。アマチュア・ゴルフというスポーツの最も大事な要素です。それは打った人が審判であるという事です。どこからWHに入ったかは、同伴者達が同意しなくても打った本人が決めることです。その際同伴者達は賛成できなければ、この人とは2度と一緒にゴルフをしないと決めれば済むことです。
それがカントリー・クラブの仲間意識であり、そうやってゴルファーとしてまた社会人として成長していくのだと僕は思います。


諸星 裕
1946年生まれ。神奈川県出身。 犯罪の世界、スポーツの世界、国際放送、国際ビジネス、大学運営管理など、 極めて特殊な国際舞台を長年経験し、世界中の放送界、スポーツ連盟や団体、 政界などに幅広いネットワークを持つ。 現在我が国における非政府関係の数少ない国際交渉スペシャリスト。 現、桜美林大学 大学院教授。

アーサー・ヘスケス・グルーム

水底が急に深くなる地形から天然の良港として日本の国際貿易の拠点となった神戸港。開港された1968年(慶応3年)にひとりの英国青年が上陸した。その名はアーサー・ヘスケス・グルーム、21歳。のちに日本ゴルフ界に燦然とその名を輝かせる人物である。 神戸を訪れた際に彼の“想い”に触れる機会があったが、その話の前にグルームの人物像をご紹介しておこう。

ロンドン郊外の町セモアで生まれたグルームは若くして貿易商として頭角を現し、神戸では日本茶の輸出とセイロン紅茶の輸入業を営んでいた。下宿先であった寺の住職の紹介で会った士族の娘宮崎直と電撃結婚。日本人以上に日本を愛するようになったという。とりわけ彼の心を魅了したのは、自然豊かで神戸の街を一望できる六甲山だった。 やがてグルームは六甲山に山荘を建て友人・知人を招くようになった。

ある週末、ウィスキー片手に友と祖国イギリスの話をしているうちに「なつかしい英国を思ってゴルフでもやってみようか」という話になったという。日本最古のゴルフ場、神戸ゴルフ倶楽部誕生の瞬間である。すでに50歳を過ぎていたグルームはそれまでゴルフの経験がなかったというから、祖国への強い郷愁がそうさせたのだろう。

時は現代に戻る。数年前の8月下旬。神戸は35℃を超える猛暑だった。曲がりくねった道をタクシーで上っていくと、やがて海抜850メートルの地点に生垣に囲まれた木造の建物が見えてきた。民家と見間違えるほどこじんまりした佇まいで目を疑ったが、入り口には『神戸ゴルフ倶楽部』とある。中に入ってみると、一瞬にして明治時代にタイムスリップしたかのようなレトロな内装と雰囲気。ゴルファーならずとも一瞬にして魅了されてしまう。

しかし驚くのはまだ早い。18ホール、4019ヤード、パー61。この数字を聞いて「なんだ、易しいじゃないか」と思ったら大間違い。北スコットランドかアイルランドを思わせるような山あり谷ありラフありの難コースなのだ。もちろん乗用カートなどあるはずもなく、アップダウンを歩いて進む。なにしろ全くの人手だけで岩を掘り起こし、雑草や笹の根を引き抜いて作られたコースである。1901年(明治34)に最初の4ホールが完成するまでに3年かかったというから、ゴルフはまさに人を狂わせる魔物だ。後に9ホールが完成し、兵庫県知事や英国領事などが出席して正式に神戸ゴルフ倶楽部が開場されたのはさらに2年後の1903年だった。当初の会員数は120人。ほとんどが英国人だったという。 そんな歴史に想いを馳せながらようやく1ラウンドのプレーを終え、疲れ果てた足を引きずってクラブハウスに戻ったところ、2ラウンド36ホールを終えたばかりの古参メンバーが何事もなかったように笑顔で迎えてくれた。お歳を尋ねたら70歳を超えているというではないか。己の体力と技量の無さを恥じて思わず壁に掛けられたグルームの肖像に眼をやると、彼の言葉が聞こえてきた。「ここは、みんなが心おきなく楽しむ大人の遊び場だ」。


蟹瀬誠一
ジャーナリスト・キャスター・明治大学国際日本学部教授

“帝王”ジャック・ニクラウス

  ゴルフ好きなら誰でも一度は会ってみたいプロ選手がいるでしょう。私の場合は“帝王”ジャック・ニクラウスでした。数年前、幸運にもそのチャンスが突然やってきました。ある雑誌からジャックがゴルフ場設計のために来日するので英語でインタビューをして欲しいという依頼が舞い込んだのです。

  ジャックは幼少の頃から父親にゴルフを習い、10歳からはレッスンプロの指導を受けて1962年にプロ入りしています。その後、2005年に65歳で引退するまでにメジャー18勝という前人未到の偉業を成し遂げたことは皆さんもご存じでしょう。そのレジェンドに会えるのです。私は有頂天で都内のホテルに出かけました。インタビュー早々、「あなたにとってゴルフは人生そのものでしょうね」と尋ねたら以外な答えが返ってきました。「いや、それは違う。ゴルフはただのゲームだ。人生は家族です。家族がうまくいっていないときは、仕事もうまくいきません」。さすが人格者である。

  話のついでに「私のような練習嫌いが手っ取り早く上達する方法はありますか」とも訊いてみた。いま振り返ればなんとも無礼な質問だが、ジャックは笑みを浮かべて「セイイチさん、ゴルフの上達に必要なものはふたつしかありません。ひとつは良いスィング、もうひとつは良い人格です」との返事。まさに脱帽でした。

  もうお分かりのように、ジャック・ニクラウスはゴルフだけでなく人格も大変高く評価されているプレーヤーです。その証拠に、引退試合となった2005年全英オープンに合わせてスコットランド銀行が彼のために似顔絵イラスト入りの記念5ポンド紙幣を発行したくらいです。私の知る限り、あの頑固なスコットランド人が普段見下げているアメリカ人の為に紙幣を発行することなど今まで聞いたことがありません。それだけ彼が全人格的に高く評価されているということです。プロスポーツ選手はすべからくそうありたいものです。

  先週、そのジャックと久々に再会しました。いよいよ来年春の彼が設計した「東京クラシック」が千葉県にオープンするからです。じつは私も9人の創設メンバーのひとりなのです。日本初の本格的家族型クラブライフと乗馬まで楽しめるゴルフクラブが誕生します。再会したジャックは75歳という思えぬエネルギーに溢れていて、相変わらず見習うべきところの多い紳士のままでした。ゴルフがうまいだけでは決して一流のプロとはいえないのだ、と改めて感じた瞬間でした。


蟹瀬誠一
ジャーナリスト・キャスター・明治大学国際日本学部教授

 

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